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京都地方裁判所 平成7年(行ウ)17号 判決 1998年7月24日

京都府城陽市平川鍛冶塚五三番地

原告

大森鐵男

右訴訟代理人弁護士

岩佐英夫

井関佳法

京都府宇治市大久保町井の尻六〇番地の三

被告

宇治税務署長 山下功

右指定代理人

種村好子

谷口幸夫

長田義博

西野雅博

豊田周司

主文

一  原告の各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し平成五年三月一二日付でした平成元年分以降の所得税の青色申告承認の取消処分を取消す。

2  被告が原告に対し平成五年三月一二日付でした平成元年分から平成三年分の所得税の更正処分のうち、総所得金額が平成元年分について一〇八万七三六二円を、平成二年分について三七一万八二五三円を、平成三年分について五四六万一八四八円をそれぞれ超える部分、被告が原告に対し平成五年三月一二日付でした平成二年分所得税にかかる過少申告加算税の賦課決定及び平成三年分所得税にかかる過少申告加算税の賦課決定、被告が原告に対し平成五年六月一〇日付でした平成四年分の所得税の更正処分のうち総所得金額が四七四万三六三九円を超える部分、被告が原告に対し平成六年七月七日付でした平成五年分の所得税の更正処分のうち総所得金額が二六三万九八九一円を超える部分、及び被告が原告に対し平成六年七月七日付でした平成五年分所得税にかかる過少申告加算税の賦課決定をいずれも取り消す。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は肩書地において建築業を営んでいる者である。

2  原告は被告から所得税の青色申告承認を受けて平成元年から平成五年までの各年分の所得税について青色申告書に別紙1「課税の経緯」の「確定申告」欄のとおり記載して法定申告期限までに確定申告した。

ところが、被告は平成五年三月一二日付で原告に対し所得税法一五〇条一項一号の規定に該当するとの理由で、原告の平成元年分以降の所得税の青色申告承認を取り消し(以下「本件青色申告承認取消処分」という。)、別紙1「課税の経緯」の「更正処分」欄のとおり平成元年分から平成三年分の所得税の更正処分及び平成二年及び平成三年分の所得税にかかる過少申告加算税の賦課決定をした。

また、被告は平成五年六月一〇日付で原告に対し、別紙1「課税の経緯」の「更正処分」欄のとおり原告の平成四年分の所得税の更正処分をした。

さらに、被告は平成六年七月七日付で原告に対し、別紙1「課税の経緯」の「更正処分」欄のとおり原告の平成五年分の所得税の更正処分及び平成五年分の所得税にかかる過少申告加算税の賦課決定をした。

3  原告は別紙1「課税の経緯」の「異議申立て」欄のとおり前項の各処分に対する異議申立を行ったが、被告は同「異議決定」欄のとおり決定した。そこで、原告は同「審査請求」欄中の請求日に国税不服審判所長に対し各処分についての審査請求をしたが、同所長は同「裁決」欄のとおり裁決した。

4  原告には所得税法一五〇条一項一号に規定する青色申告承認取消事由はなく、被告が原告に対してした本件青色申告承認取消処分は違法であって取消を免れない。また、被告が原告に対してした平成元年分から平成五年分までの所得税の更正処分(以下「本件更正処分」という。)は本件青色申告承認取消処分が有効であることを前提に推計の方法で行われた違法なものであって取消を免れない。同様に、被告が原告に対してした平成二年分、平成三年分及び平成五年分の所得税にかかる過少申告加算税の賦課決定(以下「本件賦課決定」という。)も本件青色申告承認取消処分及び本件更正処分(ただし、当該年分)が適法であることを前提とするものであるから、結局その前提を欠く違法なものとして取消を免れない。

5  よって、原告は被告に対し本件青色申告承認取消処分、本件更正処分及び本件賦課決定の各取消を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1から3の各事実は認める。

2  同4は争う。

三  抗弁等

1  本件各処分に至る経緯等

(一) 原告は妻静香(以下「静香」という。)とともに肩書地に居住し、京都府城陽市観音堂巽畑七一番地に作業所を所有して大工工事業を営んでいる。

原告は昭和六二年三月一一日付で所得税の青色申告承認申請書兼青色専従者給与に関する届出書を提出し、静香を青色事業専従者と届け出た上、昭和六二年分以降から平成三年分まで所得税の確定申告書を提出した。

(二) ところで、被告の部下職員である片岡隆(以下「片岡」という。)は平成四年八月七日に電話で原告方の静香に対し、原告の平成元年分から平成三年分の所得税及び消費税の調査のため平成四年八月二一日午前一〇時に原告方に伺いたいと伝え、帳簿書類の準備を依頼したところ、静香がこれを承諾した。

ところが、片岡が急病のため同月二一日に原告方へ赴くことができなくなったため、平尾徹統括官(以下「平尾統括官」という。)が同日午前九時ころ原告方に電話連絡し、片岡の代わりに平石康男(以下「平石」という。)と湯原司郎(以下「湯原」という。)を調査に行かせると伝え、静香から了承を得た。

そこで、平石と湯原が同日午前一〇時ころ原告方に赴いたが、原告は在宅せず、静香に対し身分証明書と質問検査章を提示し、所得税及び消費税の調査に来たと告げた。静香は、平石らを別紙2「原告の自宅見取り図」表示の応接間に案内した。

(三) 平石らは原告の不在の理由を静香に尋ねたところ、静香は、原告は仕事に出ているが、帳簿については自分で分かると答えた。その際、応接間のテーブルの上には大学ノート三冊が重ねられた状態で用意されていた。

そこで、平石らは、静香から、原告の事業内容、記帳の状況、原告の家族状況等の聴き取りを行い、その後帳簿書類の提示を求めた。静香がテーブル上のノートだけであると答えたので、平成三年分のノートの記帳内容をざっと確認した。同ノートは、売上げ、仕入れは月別の合計額、経費は支払毎の金額が記載され、売上欄には日付と金額の記載はあるものの、差引残高欄には累計の記載がない簡単なものであった。

平石らは静香に対し、ノート作成の基となった売上に関する請求書控・領収書控、仕入・経費に関する請求書・領収書等を提示するよう求めた。これに対し静香が「取ってきます。」と答え、奥の部屋に取りに行こうとしたので、平石は静香に「一緒に見せて下さい。」と告げた上、湯原に同行を促した。

これに対し静香は何も答えず、湯原が立ち上がって同行するのを制止しなかった。そして、湯原と静香は別紙2「原告の自宅見取り図」表示の床の間のある和室(以下「奥の和室」という。)に入り、床の間の前まで移動した。床の間の前の板間には箱が二段に重ねて置いてあり、静香が上段の箱を持って戻ろうとした。湯原は下段の箱をさして「それは何ですか。」と質問したのに対し、静香はこれを開けて見せて空であることを確認させた。その後静香は上段の箱を持って湯原とともに応接間に戻ってきた。平石が箱の中の書類を確認したところ、経費関係の原始記録のみが入っていた。

(四) つづいて、平石が静香に対し「売上げに関する領収書控、請求書控を出してください。」と求め、静香は応接間の隣にある和室(以下「和室」という。)のキャビネットを指さし、「取ってきます。」と答えて和室のタンスの上のキャビネットの中から領収書控だけを持ってきた。平石はさらに預金通帳の提示を求めたところ、静香が応接間の隣室(後に寝室と判明した。以下「寝室」という。)に取りに行こうとした。

そこで、平石は「一緒に見せて下さい。」と告げて、湯原に対し保管場所を確認するよう促した。これに対し、静香は何も答えず、静香のすぐ後ろを同行しようとする湯原に対しても拒否する素振りを示さなかった。そこで、湯原が静香に少し遅れて寝室へ入っていくと、静香は寝室内にある金庫の前でしゃがみ込んで金庫の中の物を取り出そうとしていたので、その後方から「金庫の中を見せて下さい。」と声を掛けた。

これに対し、静香は振り向いて立ち上がり、「とりあえず出ていって。」と湯原を両手で押し出す素振りをした。湯原は「どうしてですか。」と尋ねたが、静香は「とにかく出ていって。」と言いながら湯原を寝室から退出させ、さらに応接間まで出てきて「税務署は寝室まで入っていいのか。」「金庫の鍵の隠し場所を他人に漏らして泥棒に入られたらどう責任をとるのか。」などと湯原を詰問し始めた。

平石はこの状況を見て、静香のもとへ歩み寄り、現物確認調査の必要性を説明しながら説得するとともに、併せて税務職員には守秘義務が課せられているので、調査上知り得たことを他人に漏らすことはないことなどを説明した。しかし、静香は、さらに「そんなもん信用できない、今日日(きょうび)警察官でも悪いことをする時代なのに。」と発言して平石らの話を聞こうとしなかった。

そのため、平石は再び身分証明書と質問検査章を提示し、静香の不信を解くべく、平易かつ懇切に税務職員としての質問検査の内容について説明した。しかし、静香はこれに納得せずに「上司に電話する。」と言ったので、平石は自ら平尾統括官に電話し静香に代わった。

(五) その電話で、静香は平尾統括官に対し「税務署は金庫の中や通帳まで見れるのか。」「子供にも隠している鍵の保管場所を見られた。今までに誰にも見せたことがないのに職員が他言して、泥棒に入られたらどうしてくれるんですか。」「税務署は責任をとってくれるのか。」などと申し立てた。これに対し、平尾統括官は職員を泥棒呼ばわりされて心外であることを述べ、さらに「調査にお邪魔した場合、帳簿や記録のありのままの状態を見せてもらいたい。特に通帳などは、事業資金の出入りが載っていますから、必ず一緒に見せてもらっています。」などと現物確認調査の必要性を述べた上、調査に対する協力を求めた。しかし、静香は、帳簿や通帳は見せるが金庫の中の調査には応じられない旨申し立てた。

平石は、その後も静香に対し金庫の中の確認に応じるように説得に努め、再び通帳の提示を求めたところ、静香は納得し、平石と一緒に通帳を取りに寝室に入っていった。平石は金庫の中に封筒らしきものが見えたので、静香にその封筒は何ですかと質問したところ、静香は弟の権利証であると説明した。さらに、平石は静香に金庫の中にあった通帳を出してもらい、通帳を持った静香と一緒に応接間に戻った。

(六) 午前一〇時四〇分ころ原告が帰宅し、静香が原告にこれまでのいきさつを説明し、再度原告とともに平石らに抗議を始めた。そこで、平石らも再び原告調査に協力をするよう説得したところ、原告と静香は、帳簿書類等の調査及び通帳等の提示には応じるが、金庫の中の確認には応じれないと述べた。

そのため平石らはそれ以上金庫内の確認を強いる態度をとらず、同日午前一一時ころから原告と静香の立会いのもとで、応接間のテーブルに置かれていたノート、原始記録及び通帳を照合検討した。

平石は売上、仕入及び経費関係の記帳状況並びに原始記録の保存状態の確認を始めたところ、売上関係の領収書控から月々二万円の不明収入が見られ、平成三年分の領収書綴りからハワイ旅行の領収書を発見した。これについて、原告らは、前者は作業所内の一部敷地の地代家賃であり、後者は取引先の研修旅行であると説明した。

平石は正午近くに調査を中断し、午後一時ころから調査を引き続き行いたいと説明するとともに、原告方を辞する際午後からの調査協力を要請したところ、原告と静香が午後からも引き続き調査を受けることに応じた。

(七) 湯原は同日午後一時ころから原告方の応接間で原告不在のまま午後の調査を開始したが、同日中には、売上関係では平成三年分と平成二年分の主な売上先の照合を行ったのみであり、仕入関係でも平成三年分の青色決算書に記載されている金額と平成三年分の領収書との比較検討を行うに止まり、同日午後五時ころ、判明した不突合分をメモ用紙(甲2)に書いて静香に交付し、午前中に説明を求めた地代家賃の収入については計上漏れの点を次回までに解明するように依頼した。

これに対し、静香が次回の調査日は九月上旬にしてほしいと言ったので、湯原は改めて調査日については連絡すると回答し、午後五時三〇分ころ原告方を辞去した。

(八) 湯原は、八月二五日午後九時三〇分ころ静香から、前回の調査時に解明を依頼された不明点が解明できたので、今日来てほしいとの電話連絡を受けたが、静香の了承を得た上で、九月四日に調査に赴くこととした。

片岡と湯原は九月四日午後一〇時ころ原告方に税務調査に行き、原告と静香が応接間で片岡らの調査に対応した。原告らは、前回調査の際には全く話題にも上がらなかった調査理由について「なぜうちが調査に選ばれたのですか。」、「八月二一日の調査について、行き過ぎではないですか。」などと片岡らに詰問し、なかなか調査を受けようとしなかった。そこで、片岡らは原告の調査に対する質問等に平易かつ懇切に説明を続けながら、調査に協力して帳簿書類を提示するよう何度も説得に努めた。しかし、原告らは「もう一度帳面を見直したい。」と言うのみで片岡らの説得に耳を貸さず、帳簿書類等を提示しなかった。そこで、片岡らはその後一時間半にわたって帳簿書類等を提示して調査を受けるよう粘り強く説得を繰り返したが、原告らは応じなかった。

片岡らは同日午前一一時三〇分ころこのままでは調査が進展しないと判断し、原告らに対し帳簿書類等の提示について前向きに考えて調査に協力してほしいと伝えるとともに、次回の調査日を同日午後五時ころまでに決めて連絡するよう依頼して、原告方を辞去した。片岡は同日午後五時ころ静香から、「帳簿の提示はしません。」との電話連絡を受けた。

(九) 静香と民主商工会関係者と名乗る者らが同年九月九日に宇治税務署に来て、同年八月二一日の税務調査が明らかに行き過ぎであり、責任ある者が謝罪するよう求める旨抗議し、請願書を差し置いた。

片岡は同年九月一四日に原告方に電話をしたが、静香から、同年九月九日の抗議の申入れに対する誠実な回答がない限り調査には応じないと答えた。

(一〇) 平尾統括官は同年九月二一日午前九時ころ原告方に電話して静香に対し、改めて帳簿書類を提示して調査に協力するよう要請した。しかし、静香は「八月二一日の調査に対する謝罪及び九月九日に提出した請願書に対する回答がなければ調査に協力しない。」と述べた。

そこで平尾統括官は、八月二一日の調査で謝罪するようなことはなく、請願書の内容には事実誤認があると説明し、個人として請願に対する回答はできないことを伝えた。

(一一) 片岡は同年一〇月一日に原告方に赴き、静香に対し調査に協力して帳簿書類等の提示をするよう説得したが、同人は同年九月九日の抗議の申入れに対する回答がないとして説得には応じなかった。

片岡は、同年一〇月一五日、同月二八日、同年一一月一〇日、同年一二月一八日に原告方に赴いたが、原告らは不在であったため、同年一一月一〇日には乙1の連絡箋を、同年一二月一八日には乙2の連絡箋をそれぞれ差し置いた。

片岡は同年一一月一一日に平位清和(以下「平位」という。)と原告方を訪問し、静香に対し帳簿書類等の提示を求めるなどしたが、静香の態度は変わらず、その際帰宅した原告も「また税務署が来とるのか。帰ってもらえ。謝罪があるまで絶対何も見せへん。」と発言した。

片岡は同年一二月二二日に静香から「謝罪があるまで帳簿書類等は提示しない。」との電話を受けたが、その際調査の日を平成五年一月一四日までに連絡することを約束し、平成五年一月一四日に調査日を同年二月三日とすることを約束した。

(一二) 片岡と平位は同年二月三日に原告方に赴いたところ、すでに調査に関係のない第三者が同席していたので、原告に対しその者らが退席するよう求めるとともに、帳簿書類等の提示をして調査に協力するよう求めた。原告は第三者を退席させたものの、「謝罪文を書いたら帳簿書類を見せたる。」などと発言し、このままでは青色申告承認の取消をせざるをえないとの片岡の発言にも態度を変えなかった。

片岡は同年二月一二日に原告方で静香に対し別紙3注意書(乙3)を交付して帰署したところ、午後三時一五分ころ静香から電話で、日を改めて帳簿書類等の提示をするとの連絡があり、その日を同年二月一五日午後五時ころまでに連絡するよう依頼した。静香はその日(一二日)の平尾統括官からの電話にも同様の応答をした。

ところが、静香は同年二月一五日の片岡に対する電話では、「謝罪があるまで帳簿書類等は提示しない。」と態度を変化させ、片岡の説得にかかわらず、帳簿書類等の提示を拒否した。そこで、片岡はその電話で静香に対し、原告の青色申告の承認を取り消し、調査額に基づいて更正処分を行うと伝えた。

2  平成四年八月二一日の調査手続の適法性

(一) 同日における平石らによる税務調査の際、湯原が奥の和室に置いてあった帳面をとりに行った静香の後から黙って入室したり、静香に対しその返答を頭から疑ってかかったりするなど犯罪捜査なみの態度をとったことはなく、平石が静香に「一緒に見せてもらいます。」と告げて湯原を同行させたのに対し、静香がこれを拒否せず、湯原が奥の和室に入室することについて黙示の承諾等をした。

静香が寝室内に湯原らの立入りを拒否するか、その危険を感じていたのであれば、応接間と寝室との間に引き戸を完全に閉めたり、入室拒否を明言するのが自然であるが、同人は引き戸を完全には閉めず、その他拒否態度も示さなかったのである。

(二) 前述の経過の中で、静香が湯原に対し、金庫の鍵の隠し場所を他人に漏らして泥棒に入られたらどう責任をとるのかなどと詰問をしてきたため、平石らが身分証明書及び質問検査章を示し税務職員の守秘義務及び質問検査権の説明をし、そのなかで「これがあったらどこでも何千万でも貸してくれます。」などの発言をしたが、これも不当・違法とされるものではない。

3  本件青色申告承認取消処分の適法性

(一) 青色申告制度は、適正な課税を実現するために不可欠である正確な帳簿の記帳を図ることを目的として設けられ、誠実かつ信頼性のある帳簿書類の記録及び保存を約束した納税者に対し、その帳簿書類に基づき所得金額を正しく算定して申告納税することを期待し、税法上各種の特典を付与するものである。

そして、納税者が自己の記録保存している正確な帳簿書類を基礎として納税申告を行うものであるから、青色申告の承認を受けた納税者は、大蔵省令の定めるところにより「帳簿書類の備付け、記録又は保存」(以下「備付け等」という。)すべき義務を負い(所得税法一四八条)、納税者が同義務を履行しない場合には税務署長は青色申告の承認を取り消すことができる(同法一五〇条一項一号)。

このような青色申告制度の趣旨等からして同法一五〇条一項一号にいう帳簿書類の備付け等とは、帳簿書類を納税者において物理的に備付けておくことのほか、これに対する税務調査において税務職員がこれを閲覧、検討し、帳簿書類が青色申告の基礎としての適格性を有するものか否か、帳簿書類に基づき所得金額を正しく算定して納税申告をしているかどうかを判断し得る状態に置くことを包含する。

したがって、青色申告の承認を受けている者が正当な理由がなく帳簿書類を税務職員に提示することを拒否したような場合は、客観的に帳簿の備付け等が正しく行われていたとしても、同法一五〇条一項一号が定める青色申告承認の取消事由が存在する。

(二) 本件青色申告承認取消処分は以下のとおり適法である。

(1) 原告が平成四年八月二一日に平成元年分ないし同三年分までの詳細な帳簿・原始記録の提示を行って平石らの確認を受けたり、湯原が静香に対し「平成元年分ないし同年三年分の調査は済みました。」と告げたりしたことはない。すべての帳簿書類等の確認は完了していない。

その後、片岡らは繰り返し帳簿書類の提示を求めたが、原告らは説得に応じることなく、平成四年八月二一日の調査方法について謝罪をしない限り、帳簿書類を提示しないし調査に協力しないとの態度に終始し、何らの正当な理由もなく帳簿書類を提示しなかった。そのため、被告の部下職員は、原告の帳簿書類の備付け等が大蔵省令の定めるところに従って行われていることを確認できなかったのであるから、所得税法一五〇条一項一号にいう青色申告承認取消事由があった。

(2) 青色申告者が備え付けるべき帳簿書類及び記載方法については、所得税法一四八条、同法施行規則五六、五七条により、原則として正規の簿記の原則に従っていわゆる複式簿記により記帳するものと定められ、同法施行規則五六条一項ただし書において、同規則五七条ないし六一条及び六四条に定める方法に代えて簡易な記録の方法及び記載事項として「所得税法施行規則五六条一項ただし書、五八条一項及び六一条一項の規定に基づき、これらの規則に規定する記録の方法及び記載事項、取引に関する事項並びに科目を定める件」(昭和四二・八・三一・大蔵省告示第一一二号)三項により、記録の方法等を定める件の別表第一の第二欄の定めるところによることもできる。

ところが、甲3は平成四年八月二一日に平石らに提示されたノートか否かが疑わしいし、甲3の現金売上費<1>の中に記載を要する「品名その他給付の内容、数量、単価」の記載がなく、同現金仕入費<3>の中に記載を要する「品名その他給付の内容、数量、単価」の記載もない。また、甲3には現金出納のほか、預金、手形、売掛金、買掛金等に関する事項が記載されていない。したがって、甲3は青色申告者が備え付けるべき帳簿書類とはいえない。

4  本件更正処分の適法性

(一) 平成元年分から平成三年分の事業所得金額の推計の必要性

被告の部下職員は平成四年九月四日以降何度も原告方に臨場しまた電話により、原告に対し調査に応じて帳簿資料等を提示するよう求めたが、原告が平成四年八月二一日の税務調査に対する謝罪がなければ帳簿書類等は見せられないとし、同日以外は原告の所得金額を実額により把握しうる資料を一切提示しなかったため、被告において推計課税をせざるを得ない必要があった。

(二) 平成元年分から平成三年分の事業所得金額の推計の合理性

被告は原告の平成元年分から平成三年分の事業所得金額を算定するにあたり同業者の平均算出所得率を適用して推計計算したが、その方法は以下のとおりである。

(1) 被告は大阪国税局長の通達にしたがって平成元年分から平成三年分において乙10記載の抽出条件に該当する四名の者をを抽出し、その四名の者の平均所得率を算出した。

(2) 被告が用いた抽出基準により抽出した同業者は、業種、業態、事業規模、事業場所の間に類似性、近似性を有する青色申告者であるから、その数値の正確性も担保されている。また、その抽出は、大阪国税局長の発した通達に基づき機械的になされ、その過程で恣意の介在する余地はない。抽出された同業者数は本件係争各年分においてそれぞれ四件であるから、各同業者の個別性を平均化するに足りる。

(3) したがって、以上により算出された類似同業者の各平均算出所得率には正確性と普遍性が担保されており、被告がこれを用いて以下のとおり原告の前記各年分の事業所得金額を推計したことには合理性がある。

(三) 平成元年分から平成三年分の事業所得の金額

(1) 売上金額

原告の平成元年分から平成三年分の各売上金額は、別紙4「総所得金額の計算」の「<1>売上金額」欄のとおりであり、その内訳は別紙5「事業所得の売上金額明細表」のとおりである。

(2) 算出所得金額

原告の平成元年分から平成三年分の算出所得金額は別紙4「総所得金額の計算」の「<3>算出所得金額」欄のとおりである。

(3) 特別経費の金額

原告の平成元年分の特別経費の金額は三五万五八五三円(事業用車両の除却損)であるが、建物にかかる減価償却は行わなかった。

(4) 事業専従者控除額

別紙4「総所得金額の計算」の「<5>事業専従者控除額」欄のとおりいずれも八〇万円である。

(5) 事業所得の金額

原告の平成元年分から平成三年分の事業所得の金額は、別紙4「総所得金額の計算」の「<6>事業所得の金額」欄のとおりである。

(四) 平成元年分から平成三年分の不動産所得の金額

(1) 収入金額

原告は平成三年三月まで京都府城陽市観音堂巽畑七一番地の土地のおおむね三分の一及び同地上の建物を谷村建設工業(谷村明彦)に賃貸し、平成元年分から平成三年分として別紙4「総所得金額の計算」の「<7>収入金額」欄のとおり不動産収入を得た。

(2) 必要経費

原告はその間前項の土地に対する固定資産税の三分の一相当額を経費として負担したが、その金額は同「<8>必要経費」欄のとおりである。

(3) 不動産所得の金額

原告の平成元年分から平成三年分の不動産所得の金額は同「<9>不動産所得の金額」欄のとおりである。

(五) 平成元年分から平成三年分の総合短期譲渡所得金額

原告は平成元年六月に事業用車両を譲渡したことにより、収入金額の一三〇万円から所得金額の一五万五〇三六円、譲渡費用の三〇〇円及び特別控除額(所得税法三三条三項、四項)を控除した六四万四六六四円の譲渡所得金額を得た(別紙4「総所得金額の計算」の「<10>総合短期譲渡所得の金額」欄)。

(六) 平成元年分から平成三年分の総所得金額

以上の(三)から(五)のとおり、原告の平成元年分から平成三年分の総所得金額は、別紙4「総所得金額の計算」の「<11>総所得金額」欄のとおりである。

(七) 平成四年分及び平成五年分の総所得金額

(1) 原告は平成四年分及び同五年分の所得税の確定申告において、所得税法五七条一項(事業に専従する親族がある場合の必要経費の特例等)に基づいて静香について青色事業専従者給与を、また租税特別措置法二五条の二(平成四年分については租税特別措置法二五条の三)に基づいて青色申告特別控除をそれぞれ適用して事業所得の金額を計算した。

(2) 被告は、原告が計算した各年分の事業所得の金額に対し、右規定を適用せず静香にかかる青色事業専従者控除額八〇万円を控除しないで計算した結果、原告の事業所得金額は平成四年分が六一七万三六三九円となり、平成五年分が四〇九万九八九一円となった。

(3) 原告は、本件青色申告承認取消処分により青色申告書を提出することについて被告の承認を受けていない者になるから、当該各年分の確定申告書は青色申告書以外の申告書とみなされ右(1)の各法令の適用を受けることはできない。したがって、被告が静香にかかる青色事業専従者控除額八〇万円を控除しないで算出した事業所得金額を平成四年分及び同五年分の総所得金額と見るべきであるから、これを基礎として行った同両年分の更正処分は適法である。

5  本件賦課決定の適法性

国税通則法六五条四項の正当な理由がないから、平成二年分、平成三年分及び平成五年分にかかる本件賦課決定も適法である。

四  抗弁等に対する認否及び反論

1  本件各処分に至る経費等に対する認否

(一) 抗弁等1(一)事実のうち、原告が静香とともに肩書地に居住し、建築業を営み、昭和六二年三月一一日に所得税の青色申告承認申請をして所得税の申告をしてきたことは認める。

(二) 同1(二)の事実は、「平成元年分から平成三年分」とある点を除いて認める。

(三) 同1(三)の事実のうち、原告が平成四年八月二一日の税務調査時に不在であったこと、同調査の際、静香が奥の和室に記録を取りに行ったところ、湯原も同室に入ってきて、そこに置いてあった菓子箱をさして「それは何ですか。」と質問したのに対し、静香がこれを開けて見せたことは認め、その余は否認する。

(四) 同1(四)の事実のうち、被告の職員が静香に対し預金通帳の提示を求めたところ、静香が寝室に取りに行ったこと、湯原が寝室内にある金庫の前でその中の物を取り出そうとしていた静香の後方から、「金庫の中を見せてください。」と声を掛けたこと、静香が抗議をし湯原を寝室から退出させ、さらに応接間まで出てきたこと、平石が再び身分証明書と質問検査章を提示したこと、静香が「上司に電話をする。」と言い、平石が自ら平尾統括官に電話し静香に代わったことは認め、その余は否認する。

(五) 同1(五)の事実のうち、静香が電話で平尾統括官に対し抗議し、平尾統括官がその際も静香に対し調査に対する協力を求めたことは認め、その余は否認する。

(六) 同1(六)の事実のうち、原告が平成四年八月二一日午前一〇時三〇分すぎに帰宅し、静香が原告にこれまでの経緯を説明し、再度原告とともに平石らに抗議を始めたこと、原告と静香は帳簿書類等、通帳等の提示には応じるが、金庫の中の確認には応じられないと言ったこと、そのため平石らはそれ以上金庫内の確認を強いる態度をとらず、原告と静香が同日午前一一時ころから正午ころまで平石らに対し帳簿等の説明を行ったことは認め、その余は否認する。

(七) 同1(七)の事実のうち、湯原が同日午後一時ころから午後五時三〇分ころまで原告方で調査を行ったこと、湯原が解明を求める事項をメモ書にして静香に交付したこと、静香が次回の調査日は九月上旬にしてほしいと言ったことは認め、その余は否認する。

(八) 同1(八)の事実のうち、湯原が八月二五日に静香から、前回の調査時に解明を依頼された不明点が解明できたので、今日来てほしいとの電話連絡を受けたが、静香の了承を得た上で、九月四日に調査に赴くこととしたこと、片岡と湯原は九月四日午前一〇時ころ原告方に税務調査に行き、原告と静香がこれに応対したことは認め、その余は否認する。

(九) 同1(九)の事実のうち、原告と城陽・久御山民主商工会等の代表者が同年九月九日に宇治税務署に赴き請願書を提出したこと、片岡が同月一四日に原告方に電話をしたことは認め、その余は否認する。

(一〇) 同1(一〇)の事実のうち、平尾統括官が同年九月二一日午前九時ころ原告方に電話したことは認め、その余は否認する。

(一一) 同1(一一)の事実のうち、片岡が同年一〇月一日に原告方に赴いたのに対し、静香が同年九月九日の請願に対する回答を求めたこと、片岡が同年一一月一〇日、同年一二月一八日に原告方に赴いたが、原告が不在であったため、同年一一月一〇日には乙1の連絡箋を、同年一二月一八日には乙2の連絡箋をそれぞれ差し置いたこと、片岡が同年一一月一一日に平位とともに原告方を訪問し、静香がこれに応対したこと、片岡は同年一二月二二日に静香から電話を受け、その際調査期日を平成五年一月一四日に連絡をすることを約束し、平成五年一月一四日に調査日を同年二月三日とすることを約束したことは認め、その余は否認ないし争う。

(一二) 同1(一二)の事実のうち、片岡と平位が同年二月三日に原告方に赴いた際、原告と静香のほか、宇治久御山民主商工会事務局長らが同席していたこと、片岡と平位が原告に対しその者らを退席させるよう求め、原告が第三者を退席させたこと、片岡が同年二月一二日に原告方で静香に対し別紙3注意書(乙3)を交付して帰署したところ、午後三時一五分ころ静香から電話があり、帳簿書類等の提示をするとの連絡があり、その日を同年二月一五日午後五時ころまでに連絡するよう依頼したこと、静香がその日(一二日)の平尾統括官からの電話にも同様の応答をし、同年二月一五日に片岡に電話で話をしたが、話が決裂したことは認めその余は否認ないし争う。

2  本件各処分に至る経緯等

(一) 静香は、平石と湯原が平成四年八月二一日に原告宅を訪れると、早速何故原告が調査対象に選ばれたかの質問をした。平石は「順番とちがいますか」と答えた。その後、平石が静香に「三年分の書類を全部出して下さい」と言ったので、静香は平成三年分と理解し、奥の間に準備していたので「用意してますよ。」と答えた。そして、静香は奥の間に右書類を取りに行く前に「ここで待っててくださいね。あそこにありますから。」と告げて床の間の方を指さした。平石と湯原は「はい。分かりました」と述べた。

ところが、静香が奥の間で書類を取ろうとしたとき、突然湯原から「その箱は何ですか。」と声をかけられ、静香は湯原が奥の間までついてきたことに初めて気がついた。静香が「おかきです。」と答えると、湯原はさらにその缶を開けるように言い、静香が缶を開けると「黒豆のおかき」であった。このあと、静香は奥の間の書類を応接間に運んだ。しかし、静香は、この間の湯原の言動により、それまで税務署に対して抱いていた好感を裏切られる思いがし、不信感を抱き始めじめざるをえなかった。

(二) 静香は領収書を糊で張りつけたファイル上の帳面、領収書控、請求書控、出金伝票を応接間まで運んできた。平石らは平成三年分の帳面、領収書控、請求書を検査し、領収書控の「谷村建設工業からの月額二万円の入金」について尋ね、これが家賃収入であるとしても収入に計上すべきであると指摘した。静香は直ちにその指摘を認め、不足分の税金は払うと答えた。

平石は領収証の控を順にみながら、家賃に関連する部分を折り曲げる作業をしていた。

(三) 平石らは平成二年分、元年分を静香に求め、静香が「部屋(寝室)にあります。」と答えると、持ってくるように指示した。そこで、静香は「持ってきます。すぐ取ってきますから、ここで待っててください。」と念を押したところ、平石らは「はい。」と明確に返答した。その返事を確認してから、静香は寝室に平成元年、二年分の書類を取りに行った。静香は、応接間と寝室との間のガラス戸を自分が通れる程度だけ開け出入りした。このときは平石らは寝室に入らなかった。静香は寝室の出窓の上にロフトの袋の中に残っていた書類をその袋ごと応接室のテーブルに持ってきて平石らに提示した。

(四) 静香は、平石らから平成三年一〇月以降分の請求書控はどこにあるかと尋ねられ、キャビネットの中に入っている旨述べ、このときも「待っててくださいね。」と念を押したところ、湯原が「はい。」と返事をした。静香は返事を確認してからキャビネットの請求書控を取りにいき、応接室テーブルの上に持って来て平石らに提示した。

(五) 平石らは、奥の間に用意してあった分、寝室に残っていたロフト袋内の分、和室のキャビネットに残っていた請求書控を調査し、それに基いて甲3(元帳)の「盛森」(金物屋)からの購入品、領収証の中のハワイ旅行に関する質問や、「帳端」の記載の仕方について静香に指導をした。平石は自ら甲3に「帳端」の記載を行った。

(六) 平石と湯原はその後「預金通帳を見せてほしい。全部持ってきて欲しい。どこにあるのか。」と尋ねたので、静香は「隣の部屋(寝室)です。」と答え、「ここで待っててくださいね。」と念を押したところ、平石と湯原は「はいつ。」と明確に返事をした。静香は、応接室と寝室との間のガラス戸を辛うじて自分が出入りできる程度だけ開けて寝室に入った。ところが、静香が寝室に入り、金庫の扉を開けたとき、突然湯原の「その金庫の中のものを皆出してください。」という声がしてびっくりした。静香は、湯原の態度に激しい怒りを覚え、怒りの余り、手に持っていた預金通帳をベットの上に投げ出し、湯原に対し「私は(入室を)承知してへん。出ていってください。」と強く抗議し、寝室から押し出した。

(七) 応接室へ戻った静香は、そこで抗議を続け、「もう帰ってくれ。」と言ったところ、平石らは「調査拒否」をするならもう青色申告を取り消して更正を打つ、「捜査令状持ってきたろか。」などと脅しの発言をした。また、平石は身分証明書等を再度取り出し、「これがあったら何でもできますねんで奥さん。」とか「これがあったらどこ行っても何千万でも貸してくれまんねん。」と脅した。

また、静香は「このごろ警察官でも信用ならんのに。」と金庫の鍵の置き場所まで湯原が見たことに対して抗議した。静香は、金庫の中は、弟の預かりもの(不動産の権利証)もあるし、帳簿書類や通帳は提示するが、それ以外に金庫の中まで見せられないと発言すると、平石らは、「経費で買った金庫なら中を見せてもらう権利がある。」などと発言した。

その後、静香は平石らの上司に電話をすることを要請し、応待した平尾統括官に対し経過を説明し、「待って下さいよと言うて、はいと返事しておきながら、こうして入ってくるんで、こんなん違反と違いますか。」と尋ねた。ところが、平尾統括官は静香に対し「どこともさしてもらっています。」「そんなものどことも同じです。さしてもらってます。」「待ってくださいよと言われる前に入らんとあかんのですわ。」と答え、承諾を得なくとも寝室等に入るのは当然という態度であった。

(八) 原告は同日の午後一〇時三五分ころ帰宅した。静香の経過説明を聞いた原告は、そんな調査のやり方は違反だから、もう帰ってもらえと発言し、平石らと約一五分間交渉した。しかし、平石らは帰ろうとはせず、結局調査を再開することになった。

静香は再度「取ってきますから待っててください。」と念を押し、平石らの「はい。」の返事を確認して寝室に通帳を取りに行った。平石らはその時は待機していた。こうして三年間分の帳簿、原始資料、通帳がすべて揃い、平石らは一二時ころまで調査を続けた。

(九) 同日の午後からは湯原が一人で調査を続行し、午後二時ころ静香に対し「奥さん、もう平成一年、二年、三年の分はこれで大体終わりましたので、ちょっと解明できない点があるので説明してください。」と声をかけ、用意したメモ(甲2)に基いて静香に質問した。

静香は、自ら帳簿や原始資料を調べて、一部はその場で説明し、銀行通帳、領収証控と元帳(甲3)との差額については銀行や谷村建設工業に確認のため電話をし、不明分を後日回答してほしいと湯原から指示された。静香は午後二時三〇分すぎに湯原にコーヒーを出し、若干の雑談をした。

(一〇) その後、湯原は静香に対し昭和六二、六三年分の元帳や領収証等の提示を求めた。静香は「倉庫に直してあります」と言って倉庫に取りにいった。湯原は「ついて行きます。」と述べ、静香も了解し、奥の間の南側の縁側まで一緒についてきた。静香は倉庫から昭和六二、六三年分の帳簿や原始資料を出し、応接室テーブルまで運んで湯原に提示した。

湯原は昭和六二、六三年分の帳簿、資料を午後五時三〇分ころまで調査し、そのころ「これで一応、昭和六二年度分と昭和六三年度分も済みましたけれども、解明点と、ちょっとこちらのほうで分からない分があるかも分かりませんので、そのときはよろしくお願いします。」と静香に述べて帰っていった。

(一一) 静香は同年八月二五日午前九時三〇分ころ宇治税務署の湯原に電話をかけ、同月二一日に解明を求められた四点について口頭で説明し、その後、被告の抗弁等1(八)第一段のとおり次の調査期日を同年九月四日とすることを約束した。

しかし、その翌日原告の得意先から「お前のとこ、悪いことでもしているのか。」と言われ、被告が反面調査をしていることを知り、営業上の妨害までされたことに許せないという気持ちになり、弁護士会等に相談をした。

九月四日の調査においても原告らは八月二一日に解明要求のあった点については口頭で説明をしたり、帳簿書類について一度原始資料と突き合わせ整理をしたいと述べたものの、提示を拒否する態度をとらなかったが、片岡らは寝室の無断立入及び一方的な反面調査を改善する姿勢を示さず、開き直る態度を続けた。

同年一一月一一日の調査においても、静香は帳簿書類を用意し、八月二一日に解明要求のあった点について口頭で説明したほか、同日における事実の確認と改善を要求したが、平位と片岡は何ら誠意ある態度を示さず、調査することなく帰ってしまった。

(一二) 片岡と平位は平成五年二月三日午前一〇時三〇分に原告方を訪れ応接間に臨んだが、その際宇治久御山民主商工会の事務局長らが立ち会っていたのを見て、早々にその退席を求めた。しかし、原告はまず平成四年九月四日の調査時における片岡の発言、新聞記者に対する税務署側の発言と異なること、片岡が無断で寝室に立ち入ったこと、それが上司の指示に基づくものであることを同月四日に認めていることについての納得のいく説明を求めた。ところが、片岡らは「答えられない。」「謝罪できない。」との態度に終始し、なお立会人の退席を求めた。原告はこれに対し調査を促し、解明を求められた四点の説明に入ったが、平位が、その内容は反面調査で分かっているとして、説明を遮った。

原告は、その後立会人に退席してもらい、四点の回答をしたが、片岡らは帳簿を見せて欲しいの一点張りで、見せてもよいが平成四年八月二一日の不法調査について非を認めてほしいとの原告の要望を拒絶し、物別れのまま帰っていった。

(一三) 静香は平成五年二月一五日に片岡に電話をし、帳簿を見せる意思があること、平成四年八月二一日には十分見せたこと、同日の言動について非を認めて改善する姿勢を示してほしいこと、二月一二日の注意書き(乙3)を貰うことは納得できないことを伝えたが、片岡は平成四年八月二一日に帳簿の提示を受けたことは認めながら、それ以降帳簿を見ていないので、帳簿書類の備付け等がないとし、平成四年八月二一日の行為についてもわからない、謝罪する必要がないとの態度に固執したため物別れとなった。

3  原告の業務に係る帳簿書類の備付け等

(一) 以上のような事実の経過、特に平石と湯原の調査に要した時間、その内容、静香に対する発問・発言等とその趣旨、静香の応接等からして、平成四年八月二一日の平石らの税務調査により原告の平成元年から三年分の帳簿書類の調査は、湯原が残した解明点のほかは、すべて完了した。

(二) また、同様に原告は平成元年分から平成三年分の「帳簿書類」の備付け等をしていたことが明らかである。

所得税法の解釈として、業務に係る帳簿書類の単なる「不提示」を同法一五〇条一項一号に定める「備付け等」がないと見ることは次項のとおり不当であるが、これを措いても本件においては、原告らは調査対象年度の平成元年分から平成三年分の帳簿書類を提示し、これについて平石らが調査を完了した。したがって、当該年分の帳簿書類は客観的に「備付け等」されていたのである。

(1) 被告は平成四年八月二一日の調査において原告がその一部を提示したのみであると主張するが、原告が平石らの提示要求に応じて平成元年分ないし三年分の帳簿、証拠書類及び預金通帳の全部を提示したことは争いのない事実である。被告がその調査を完了したか否かの問題と、備付け等又は提示の有無とは別の問題である。

(2) 原告が「調査に協力することはないとの態度に終始し」という被告の主張も事実に反するし、原告が被告の職員に八月二一日の件の謝罪を求めたことは「正当な理由なく提示を拒否した」ことにはあたらない。

(3) 湯原が平成四年八月二一日に無断で寝室に浸入し、これが犯罪行為であるにもかかわらず、被告は頑としてこのことを認めようとせず、原告の道理ある態度に対し誠意ある対応を示さなかった。

原告はもともと税務署に対しては悪感情を抱いておらず、八月二一日には平成元年分から平成三年分帳簿書類等はすべて提示し、無断寝室侵入行為の後も午前一〇時三〇分すぎから午後五時三〇分まで全面的に調査に協力したのである。

原告らは同日においては、抗議と税務調査は別個と考え、半信半疑ながら平尾統括官の言葉にしたがい協力したが、その後税務調査について学ぶうち、湯原らの行為が違法であることを知り、一層強く謝罪してほしいという気持ちを抱いたのであった。しかし、原告は機械的に謝罪を求めたことはなく、九月四日の調査においても調査に協力する姿勢を続ける一方、何故原告が調査対象になったのかの理由を求め、八月二一日の無断侵入行為に対する謝罪を望んだにすぎない。ところが、片岡らは原告に対する調査理由については木で鼻をくくったような返事をし、無断侵入は当然できると開き直った態度をとったのである。

原告は、一言でもいいから事実を認めて謝ってほしいという素直な気持ちであったから、九月四日には解明点を説明し、平成四年一一月一一日及び平成五年二月三日の調査の時も帳簿書類を用意し、二月三日には被告の職員の求めに応じて立会人の退席まで協力したのであった。

ところが、被告の職員の対応は、九月四日段階では無断入室を前提にしてそれはできるとの弁解をしていたのに、その後は一切無断侵入をしていないと事実を曲げたのである。

このような原告と被告の職員とのやりとり、次項の法原則等からすれば、原告が被告の職員に八月二一日の件について謝罪を求めたことは、正当な理由なく提示を拒否したことにはあたらない。

4  所得税法一五〇条一項一号の「備付け等」の意義等

(一) 所得税法一五〇条一項一号は「その年における第一四三条に規定にする業務に係る帳簿書類の備付け、記録又は保存が第一四八条一項に規定する大蔵省令で定めるところに従って行われていないこと」と定めている。被調査者が税務署長に対し自らの業務に係る帳簿書類を提示しないことは、文理上所得税法一五〇条一項一号の「備付け等」が「行われていないこと」には該当しない。その趣旨の法令、通達等もない。

(二) 憲法は三〇条、八四条で租税法律主義を定め、課税要件はもとより国民と課税庁との間の一切の租税法律関係について、法律において可能な限り詳細且つ明確に規定されることを要請している。このことから税法の解釈にあたっては国民の権利擁護の観点から厳格性が要求され、国民の利益に背く方向での類推解釈や拡張解釈は許されない。とりわけ本件で問題にされている青色申告承認の取消は「種々の特典を剥奪する不利益処分」であるから、その要件の解釈にあたっては納税者に不利益に働く方向での類推解釈や拡張解釈は禁止されるか、少なくとも最小限に止めることが要請されているというべきである。

(三) 青色申告承認の取消要件の存否の認定において、単に帳簿書類の提示がないとの物理的、形式的な事実のみをもって要件を肯定することは許されず、「納税者の帳簿書類の提示拒否の事実の有無は、一定の時点においてのみ判断されるべきものではなく、税務当局の行う調査の全過程を通じて税務当局側が帳簿の備付け状況等を確認するため社会通念上当然に要求される程度の努力を行ったにもかかわらず、その確認を行うことが客観的にみてできなかったと考えられる場合」に初めて「税務調査の拒否があった」と評価しうるのである。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  当事者間に争いのない事実

以下の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

1  請求の原因1から3の各事実。

2  原告は静香とともに肩書地に居住し、建築業を営み、昭和六二年三月一一日に所得税の青色申告承認申請をして所得税の申告を行ってきた。

3  抗弁等1(二)の事実(ただし、「平成元年分から平成三年分の」との部分は除く。)

4  原告は平成四年八月二一日の税務調査の開始時には不在であった。

被告の部下職員が同日静香の応対を受け原告方で調査を行った間に、静香が奥の和室に記録を取りに行ったところ、湯原も同和室に入ってきて、そこに置いてあった菓子箱をさして「それは何ですか。」と質問したのに対し、静香がこれを開けて見せたことがあった。被告の職員が同調査中に静香に対し預金通帳の提示を求めたところ、静香が寝室に取りに行き、湯原が寝室内にある金庫の前でその中の物を取り出そうとしていた静香の後方から「金庫の中を見せてください。」と声を掛けた。静香が抗議をし湯原を寝室から退出させ、さらに応接間まで出てきた後、平石が再び身分証明書と質問検査章を提示した。静香が「上司に電話する。」と言い、平石が自ら平尾統括官に電話して静香に代わり、静香がその電話で平尾統括官に対し抗議し、平尾統括官がその際も静香に対し調査に対する協力を求めた。

その後、原告が同日午前一〇時三〇分すぎに帰宅し、静香が原告にそれまでの経緯を説明し、再度原告とともに平石らに抗議を始めた。原告と静香は帳簿書類等、通帳等の提示には応じるが、金庫の中の確認には応じられないと言い、そのため平石らはそれ以上金庫内の物の確認を強いる態度をとらなかった。原告と静香が同日午前一一時ころから正午ころまで平石らに帳簿等の説明を行った。湯原は同日午後一時ころから午後五時三〇分ころまで原告方で調査を行い、原告に解明を求める事項をメモ書にして静香に交付し、その際、静香が次回の調査日は九月上旬にしてほしいと言った。

5  湯原は同年八月二五日に静香から、前回の調査時に解明を依頼された不明点が解明できたので、今日来てほしいとの電話連絡を受けたが、静香の了承を得た上で、九月四日に調査に赴くこととした。

片岡と湯原は九月四日午前一〇時ころ原告方に税務調査に行き、原告と静香がこれに応対した。

6  宇治久御山民主商工会等の代表者らは同年九月九日に宇治税務署に赴いて請願書を提出した。

7  片岡は同年九月一四日に原告方に電話をし、同年一〇月一日に原告方に赴いたのに対し、静香が同年九月九日の請願に対する回答を求めた。

平尾統括官は同年九月二一日午前九時ころ原告方に電話した。

片岡は同年一一月一〇日、同年一二月一八日に原告方に赴いたが、原告らが不在であったため、同年一一月一〇には乙1の連絡箋を、同年一二月一八日には乙2の連絡箋をそれぞれ差し置き、同年一一月一一日には平位とともに原告方を訪問した際、静香の応対を受け、同年一二月二二日には静香から電話を受け、その際調査期日を平成五年一月一四日に連絡をすることを約束し、平成五年一月一四日に調査日を同年二月三日とすることを約束した。

片岡と平位が同年二月三日に原告方に赴いた際、原告と静香のほか、宇治久御山民主商工会事務局長らが同席していたので、原告に対しその者らを退席させるよう求め、原告が第三者を退席させた。

片岡は同年二月一二日に原告方で静香に対し別紙3注意書(乙3)を交付して帰署したところ、午後三時一五分ころ静香から電話があり、帳簿書類等の提示をするとの連絡があり、その日を同年二月一五日午後五時ころまでに連絡するよう依頼した。静香はその日(一二日)の平尾統括官からの電話にも同様の応答をした。

静香は同年二月一五日に片岡に電話で話をしたが、話が決裂した。

以上の事実は当事者間に争いがない。

二  本件各処分に至るまでの経緯等

1  事実の認定

証拠(甲1の1、2、甲2から5、10、乙1から3、16、17、証人静香、同湯原、同平石、同片岡、検証の結果)(ただし、甲4、5、10、証人静香、同湯原、同平石の各証言中の信用しない部分は除く。)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  平石、湯原及び片岡はいずれも平成元年までに国家公務員に採用され、その直後に大阪国税局総務部総務課に配置された後、平静三年七月から平成五年七月まで(片岡は平成六年七月まで)宇治税務署個人課税部門に配置され勤務に就いていた者である。

(二)  片岡は平成四年七月下旬に統括官から原告について税務調査をするよう指示され、同年八月七日に原告方に電話をかけ、静香に対し「平成三年分以前の国税の調査で二一日に伺いたいので都合はいかがですか。帳面等の用意をお願いします。」と伝え、同人の了解を得たが、被告の抗弁等1(二)の第二段のとおりの経過で、平石と湯原が同月二一日に原告方に赴き、静香に応対を受けた。

(三)  平石と湯原はそこで静香から、原告は仕事で不在であるが、静香が経理をしているとの説明を受けたので、身分証明書等を提示して改めて税務調査に赴いたことを告げ、別紙2「原告の自宅見取図」表示の応接間に案内された。

平石と湯原は、同応接間に入って静香から原告の業務等の聴取を済ませて帳簿の提示を求め、静香が原告の帳簿であるというテーブル上の三冊の大学ノート(そのうちの一冊は甲3であるが、記載内容は当時のものと証拠提出された後のものとは異なる。)を点検した。同大学ノートは、売上及び仕入の月別合計額が記載され、経費額が支払毎に記載されたのであった。そこで、平石が大学ノートに記載された金額の基になる領収書、請求書を求めたところ、静香は「取ってきます。」と答えつつ奥の間に行きかけたので、湯原がついていった。静香が奥の間の床の間の前で領収書綴りの入った箱を持ち運ぼうとした際、湯原がその下の箱をさして「それは何ですか。」と尋ねたのに対し、静香は「空です。」と答えてその中を見せた。

静香が持って戻った経費に関する領収書綴りを見ていた平石は、その後売上に関する領収書控、請求書控を求め、これに応じて静香は和室(別紙2「原告の自宅見取図」表示の中央の和室)の箪笥上のキャビネットの中から領収書控をとって戻った。

その後、平石は静香に預金通帳を求め、静香が「取ってきます。」と言って応接間との境の引き戸を開けて寝室に入った。そのすぐあとを同人にしたがって入室した湯原は、ベッドの横の金庫を開けている静香を認め、「金庫の中を見せてください。」と言ったところ、同人から「とにかく出ていって。」と言われ、その際持っていた預金通帳をベッドの上に投げ出した静香によって両手で押し出されるようにされ、寝室から退出した。

応接間に戻った静香は、湯原らに対し「子供にも言っていない金庫の鍵の隠し場所を見られた。泥棒が入ったら責任をとってくれるのか。」「帰って。」などと抗議をした。平石は質問検査章と身分証明書を示して、税務職員には守秘義務があるので他人の前では原告らの金庫の鍵の隠し場所を言ったりはしないなどと説得をしたが、静香が「このごろは警察でも信用できないのに。」などと言って納得をせず、平石らの上司に電話をすると言い出した。

静香は平尾統括官との電話でのやりとりの中で、税務署の職員は「金庫の鍵の隠し場所や金庫の中まで見る権利があるのか。」などと詰問したが、同統括官は調査に協力してほしいとの趣旨の話をした。

(四)  静香と平尾統括官との電話が終了した後、平石が繰り返し説得し再び預金通帳の提示を求めたところ、静香がこれに応じて平石とともに寝室に行って金庫内に戻しておいた預金通帳を取り出して応接間に戻ってきた。両名が応接室に入った際、平石が金庫の中の封筒様のものは何かと尋ねると、静香は弟の権利証が入っていると答えたこともあった。平石らがその通帳を調べていた同日午前一〇時三五分ころか四〇分ころ原告が帰宅した。

静香は原告にそれまでの調査の経過を説明し、平石らも原告に説明をし、原告と静香の了解を得て、同日午前一一時ころから大学ノート、売上に関する領収書控、請求書控、経費に関する領収書綴りの確認作業を続けた。その結果、売上に関する領収書控から判明した月二万の収入及びハワイ旅行費用の処理如何、売上の「帳端」の問題が現れ、原告らはそれを調査すると約束した。

そして、原告は、午後からの調査にも協力をしてほしいと要請した平石に対し、原告自身は昼からも仕事に出るが調査には協力すると答え、静香もこれに同調した。

(五)  湯原は同日の昼食時はいったん帰署し、午後は一人で原告方に赴き、その応接間で平成三年及び平成二年分の大学ノートの月別売上金額と銀行の入金額との照合をし、静香に所々質問をしたほか、同日午後五時三〇分ころまでに平成三年分の仕入れについて青色決算書と領収書の照合を済ませたに止まり、売上に関しては平成元年分の右の照合等、調査全期間分について出面帳、請求書との照合等を残し、仕入に関しては平成二年分及び平成元年分の右の照合等、全期間を通じて納品書、請求書等による決済の状況の確認等を残した。

湯原は同日の調査を終えるころ原告らに解明を求めるべく売上と仕入との不突合部分等を記載したメモ(甲2)を静香に交付したが、そのころ原告が帰宅し、メモに記載された事項を調査することを約束した。またその際、静香が次回の調査期日を九月上旬にしてほしいと希望したので、湯原は改めて電話をしますと答えて原告方を後にした。

(六)  湯原は同年八月二五日に静香から「二一日の時の不明点が解明できたので、今日来てほしい。」との電話連絡を受けたが、その日には別の要件があったので断り、九月四日に調査に赴くことを約束した。

湯原は同月二六日付で谷村建設に対する照会書を作成し、谷村建設の原告との取引金額、決済方法等の回答を求めた。

(七)  片岡と湯原は、メモ事項の回答と帳簿書類との照合、仕入に関する平成二年分及び平成元年分の前記照合、外注費の調査等を行う予定で、同年九月四日午前一〇時ころ原告方に赴き、原告と静香により原告方の応接間に案内された。片岡は、前回は発熱のため訪問できなかったとして謝罪した。その直後、原告らは片岡らに対し「なぜうちとこがあたったのか。」と切り出し、こもごも「湯原が菓子箱を開けさせた。」とか、「寝室まで入って来られて、私(静香)、きつう怒った。」、「人に知られてないところに鍵を置いている。そんなとこまで後ろから覗いたというのはいけませんでしょう。」「後ろから黙ってついて来ることはできるんですか。」「身分証明書を見せて、脅かしのようなことをした。」「金庫の番号を見られて、もしも盗まれた場合ねえ。本人が盗まなくても、その人から伝わってやね。」「寝室まで入って来て、ちょっと待ってくださいと言っているのに、後ろから付けてきて、開けるところを見てそれ出してください、とかちょっと行き過ぎではないのですか。」などと片岡らに対する詰問を続けた。その半ばで片岡が調査をしたいと求めたのに対し、原告らは帳簿の付け落ちがあるかもしれないとして見直すと言い出し、帳簿の見直しは税務署が行うから帳簿を見せてほしいとの片岡の再三にわたる説得に対しても、同じ内容の発言を繰り返した末、その日には帳簿を提示しないとの態度を明らかにした。原告らはそのようなやり取りの途中で谷村建設との取引内容や被告の職員が谷村建設か日本和装に対する調査の結果、谷村から「うちを抜いて日本和装と仕事をやっとるのと違うか。それやったらもう使わないと言っていた。そういうことをしてもらうと困るのや。」などと実情を述べたこともあった。

片岡らは同日午前一一時三〇分ころ同日に原告方での調査を進めるのは困難であると考え、次回の調査日の話をしたが、静香がいますぐは決めかねるとし、日程を決めてから同日午後五時ころまでに電話をすると言うので、そのまま原告方を退出した。片岡は同日午後五時ころ静香から「帳簿の提示はしません。」との電話連絡を受けた。

(八)  原告と民主商工会関係者が同年九月九日に宇治税務署に赴き、同年八月二一日の税務調査が明らかにいきすぎであり、責任ある者が謝罪するよう求める旨抗議し、請願書(甲5)を差し置いた。

片岡は同年九月一四日に原告方に電話をし、静香に対し調査に協力して帳簿の提示をするよう説得したが、静香は、原告が同月九日に提出した被告に対する請願書の回答を求め、総務課に聞いてほしいとの返答をした片岡の要請には応ずる態度を示さなかった。

平尾統括官も同年九月二一日に原告方に電話し、静香に対し改めて帳簿書類を提示して調査に協力するよう要請したが、静香が同月九日の請願書を見ているかと質問し、平尾統括官が個人としては回答はできないなどと答えた後、結局静香は同統括官の要請に応じるとの意思を示さなかった。

片岡は同年一〇月一日に原告方に赴き、玄関先で静香に対し調査に協力して帳簿書類等の提示等を要請したが、静香がこの時も同年八月二一日の調査の是非を問い掛け、それに対する謝罪を求めた。これに対し片岡は静香の言うような寝室に無断で入ったとの事実があったことを否定し、またその際も静香が片岡との会話を録音しようとしたため、それ以上の進捗が見られなかった。

片岡は、同年一〇月一五日、同月二八日、同年一一月一〇日に原告方に赴いたが、いずれも不在であったので、同年一一月一〇日には同月一一日に伺うと記載した連絡箋(乙1)を投函した。

(九)  片岡は同年一一月一一日午前一〇時ころ平位とともに原告方を訪れ、原告と静香に対しそれまでと同じように帳簿書類等の提示を求めたが、原告らは同年八月二一日の調査に関する回答のほか謝罪文を求め、これがなければ帳簿書類等の提示に応ずることができないとの態度に終始したため、同日も話しに進展がないまま片岡らは原告方を出た。

片岡は同年一二月一八日に原告方に赴き、次回の調査期日を決めたいので連絡を求めると記載した連絡箋(乙2)を投函した。

片岡は同年一二月二二日に静香から「謝罪があるまで帳簿書類等は提示しない。」との電話を受けたが、その電話で静香から、次の調査日について平成五年一月一四日までに連絡するとの約束を得た。静香は平成五年一月一四日に片岡に電話をし、平成四年八月二一日の調査に対する謝罪を求めるとともに反面調査に対する抗議をし、片岡からそうではないとの説明には納得せず、要請された調査協力と帳簿の提示には応じる姿勢を示さなかったが、片岡が同年二月三日に原告方を訪れることの約束をした。

(一〇)  片岡と平位は同年二月三日に原告方に赴いて応接間の隣の和室に通されたところ、原告と静香以外の第三者が同席し発言などしていた。片岡らは第三者の退席を求めた後、それまでと同様原告らに対し調査協力と帳簿の提示を求めた。しかし、原告らは、第三者が同席する中で平成四年八月二一日に湯原から解明を求められた事項について口頭で説明を試みたりしたが、その退席の前後を通じて終始謝罪文を求め続け、謝罪がないまま帳簿の提示等に応ずるとの態度には出なかった。

そこで、片岡は平成五年二月一二日に原告方において静香に対し別紙3「注意書」(乙3)を交付したところ、同日に静香から帳簿を提示するとの電話があったので、同月一五日までに次回の調査日程を電話連絡するよう依頼した。静香は同日平尾統括官から事態を確認するための電話を受けたが、その電話においても同統括官に対し同様に帳簿を提示するとの応答をした。しかし、静香は同月一五日に片岡に対し、帳簿の提示はしないとの電話をしたため、両者間の折衝が途絶え、被告が同年三月一二日付で原告に対し本件青色申告承認取消処分を行うに至り、本件更正処分等が後続し現在に至った。

以上の事実が認められる。

2  認定の補足

以上の認定を覆すに足りる証拠はないが、事実の認定に関し以下のとおり補足する。

(一)  原告は、静香が平成四年八月二一日の調査時に平石らに対し何故原告が調査対象に選ばれたかの質問をし、原告の主張する「大学ノート」を応接間のテーブル上には置いていなかったと主張し、甲4(前段に関する部分)、甲10及び証人静香の証言中にこれに沿う部分がある。

しかし、静香はそれまでの経験から平成四年八月二一日前までは税務署の職員に対する反感のようなものはなく(原告の自認、甲10、証人静香)、事前の片岡からの要請を留保なく承諾したことなどからして、「大学ノート」を用意しなかったなどとの甲10の記載及び証人静香の証言は不自然であり、ただちには首肯し難い。また、甲4(三頁)中に「ちょっと一遍聞きたいねんけど、私もこの間、あのー、こちらにちょっと聞いてたけど。」と切り出し、原告が調査対象となった根拠を尋ねたくだりがあるが、同号証中の静香の発言は平石らとの同日の会話を録音していることを意識した意図的なものが窺われる部分が多く、右もその例外ではなく、湯原らから事情を引き出そうとの意思が見え、事実報告としてはたやすくは信用しえない。

(二)  原告は、静香が前同日の調査中に求められた書類帳簿を奥の間にとりに行こうとした際、平石らに「ここで待っててくださいね。あそこにありますから。」と告げ、平石と湯原は「はい。分かりました。」と述べたと主張し、甲10及び証人静香の証言中にこれに沿う部分がある。

しかし、前記認定の事実、また、その当時静香は自分と同行して湯原が自宅内を移動することはやむをえないとして容認する意思であったと推認されること、現に奥の間で湯原から「何ですか」と声をかけられたことにも普通に応答したことからしても、原告が主張するように、わざわざ「ここで待っててくださいね。」と念を押したとの趣旨の甲10の記載及び証人静香の証言はその際の事実経過にそぐわず信用しえない。

(三)  原告は、前同日の調査中に静香が三回にわたって寝室に出入りし、二回目のときに湯原が入室したと主張し、証人静香の証言中にこれに沿う部分がある。

しかしながら、同証言により静香が事実経過を記載したものと認められる甲5(請願書)には平成四年八月二一日の税務調査時に静香が平石らの要請による帳簿書類をとりに寝室に出入りしたのは一回であり、その時に湯原が寝室に無断で立ち入ったと記載され、乙17(原告名義の異議申立書)には静香が帳簿書類をとりに寝室に出入りしたのは二回であり、二回目に湯原が寝室に無断で立ち入ったため、その際に抗議等をしたりした旨の記載があり、甲10(静香の陳述書)にも、寝室に出入りしたのは二回であって二回目に湯原が寝室に無断で立ち入ったなどのほか、特に平石らから要請された預金通帳は静香が二回目に寝室に入った後、湯原に気づいて抗議等をした際、寝室内のベッドの上に投げ出したと記載されているが、その後の経過の記載がなく、これが平石らに提示されたかどうかが不明である。

そして、証人静香の証言においては、「今度はほな、取ってきますから待っていてくださいと言うたら、はいと言うておとなしゅう待ってくれました。」とあるのみで、その前後の経過が不明で、静香が「土地とか家の権利書も入ってまんのや。」と言った(甲4の13頁)との点も、その時期やその発言の機会、動機等が不明である。

証人静香の右証言部分はその内容自体からして信用を措くことが困難であるし、甲5、乙17、甲10の前記記載部分もこれらを整合したものと見るときは、預金通帳の所在が不明であり到底信用し難い。

(四)  また、原告は、湯原が寝室にいる時に、寝室に入ることを承諾していなかったとして同人に抗議をしたと主張し、甲10及び証人静香の証言にこれに沿う部分がある。しかし、この点に関する静香の陳述等も信用することはできない。すなわち、寝室への出入の回数に関する説示と関連するが、前掲の各証拠によれば、静香と原告は、湯原らが自宅内で静香とともに各室を行き来することに強い違和感を持つことなく、金庫の鍵の所在場所と金庫内の書類の秘匿に強い関心を示していたのであって、それゆえ平石が静香とともに二度目に寝室に入ったりしたことをも許容したと認められるのである。この点も、その後原告と静香が平石らに対し調査に関係する帳簿書類の提示はするが、金庫内の書類の調査を強く拒否し、その点については同人らの一応の了解を得たことからも頷けるところである。したがって、静香が湯原に対し同人が寝室に入ったことについて抗議をしたとの静香の陳述等には大きな疑問があって信用できない。

(五)  さらに、原告は、平石らが「調査拒否」をするなら、もう青色申告を取り消して更正を打つ、または「捜査令状持ってきたろか。」などと脅しの発言をし、身分証明書等を再度取り出し、「これがあったら何でもできますねんで奥さん。」とか「これがあったらどこに行っても何千何でも貸してくれまんねん。」と脅したなどと主張し、甲10及び証人大森静香の証言にこれに沿う部分があるが、原告の主張・右証拠によっても、どのようなやりとりのもとで具体的にどのような発言があったかが不明であるし、「捜査令状持ってきたろか。」のような発言があった点に関しては、以上の経過、証人湯原及び同平石の各証言に照らして甲10等の右の部分は信用するに足りない。また、「何千万でも貸してくれまんねん。」との発言は、甲4によっても、税務職員の権限内容の説明の際に行ったことが窺え、この言葉で平石らが静香を脅かしたと認めるには足りない。

(六)  原告は、前同日の午後からは湯原が一人で調査を続行し、午後二時ころ静香に対し「奥さん、もう平成一年、二年、三年分はこれで大体終わりました。」と声をかけたと主張するが、これに沿う甲10及び証人静香の証言部分は前記認定の事実、証人湯原の証言に照らして信用することができず、他に右の事実を認めるに足りる証拠はない。

また、原告は、静香が同年八月二五日に湯原に対し電話をかけ、同月二一日に解明を求められた四点について口頭で説明したと主張するが、証人湯原の証言に照らし信用することができない甲10中の記載のほか、右の事実を認めるに足りる証拠はない。

(七)  被告は、静香が平成四年八月二一日の税務調査中に原告方の奥の間及び寝室(一回目)に書類をとりに行く際、いずれも平石が「一緒に見せて下さい。」と言ったと主張し、証人湯原、同平石の各証言にこれに沿う部分がある。しかし、特に湯原が寝室に同行し金庫の鍵の所在場所を見たとして、静香から抗議を受けた際、入室の承諾を得たなどとして湯原らが反論なりをしたことを認めるに足りる証拠がなく、前記のとおりの静香の抗議内容も黙って鍵の所在場所を見たことに対するものであったことからしても、証人湯原らの右証言部分は信用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

三  本件青色申告承認取消処分の適否

1  所得税法は、一四三条で「不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき業務を行う居住者は、納税地の所轄税務署長の承認を受けた場合には、確定申告書及び当該申告書に係る修正申告書を青色申告書により提出することができる。」と、一四八条で「1第一四三条の承認を受けている居住者は、大蔵省令で定めるところにより、同条に規定する業務につき帳簿書類を備え付けてこれに不動産所得の金額、事業所得の金額及び山林所得の金額に係る取引を記録し、かつ、当該帳簿書類を保存しなければならない。2納税地の所轄税務署長は、必要があると認めるときは、第一四三条の承認を受けている居住者に対し、その者の同条に規定する業務に係る帳簿書類について必要な指示をすることができる。」と、一五〇条で「1第一四三条の承認を受けた居住者につき次の各号の一に該当する事実がある場合には、納税地の所轄税務署長は、当該各号に掲げる年までさかのぼってその承認を取り消すことができる。(中途省略)(一)その年における第一四三条に規定する業務に係る帳簿書類の備付け、記録又は保存が第一四八条第一項に規定する大蔵省令で定めるところに従って行われていないことその年(以下省略)」とそれぞれ定めている。

これらの所得税法の規定の趣旨等からして、同法一五〇条一項一号は、所轄税務署長が、一四三条の承認を受けた居住者においてその者の業務に係る帳簿書類の備付け等を大蔵省令で定めるところに従って行っているかどうか、を認識・確認できる状態にない場合をも青色申告承認取消事由としたものと解釈するほかない。

したがって、所轄税務署長の要請、指示等にもかかわらず、同法一四三条の承認を受けた居住者が正当な理由なくその者の業務に係る帳簿書類の提示を拒絶したときは、同法一五〇条一項一号に規定する青色申告承認取消の事由に該当するというべきである。

2  この見地で本件を見ると、前記認定の事実、前掲各証拠(ただし、信用しないものは除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すると、原告は、平成四年八月二一日に被告の部下職員である平石らに対し原告の業務にかかる帳簿書類を提示したものの、同日の後には平石らの税務調査において無断寝室入室、脅かしの言動等の違法不当な調査行為があったとして、被告の部下職員の再三にわたる要請にもかかわらず、謝罪のない限り帳簿書類は見せられないとしてその提示を拒否したことが認められる。

この点ついて原告は、平石らの違法不当な行為に対する謝罪を求めて帳簿書類を見せなかったことには正当な理由があると主張するが、以下のとおりこの主張は採用しえない。

すなわち、前記のとおり、平石らが平成四年八月二一日の調査当時、静香に対し原告方の各室への同行の承諾を明示的には得たとは認め難いが、前記認定事実に照らすと、静香から黙示的にはその承諾を得たものと評価することができるし、同日における平石らと原告及び静香との話し合いによって、金庫内の書類の提示要請は、原告らの要求どおり、平石らが断念し、他方寝室の金庫の鍵問題は、同日の平石らの他の言動等を含め、平石らの説得に応じて原告らがこれを宥恕して決着を見たのであり、そうであるからこそ静香はその後平石とともに再度寝室に入って預金通帳を持ち出し同人らに提示したのであったし、原告自身も同日午後における帳簿書類の提示に同意を与えたものと認めるべきである。

ところが、同年八月二六日に谷村建設から、原告に対し日本和装との取引に関する非難めいた指摘を受け、これが被告の反面調査によるものとして感情を害するなどし、その後第三者の意見を聞くに及び再度寝室の立入り問題等を取り上げ、帳簿書類の提示を拒否し続け、本件各処分を受けるに至ったことが認められる(なお、湯原らが行った甲1の1等による税務調査が違法であると認めるに足りる証拠はない。)。

したがって、平成四年八月二一日の後における書類の提示の拒否は、もともと被告の部下職員から謝罪等を求める意思のなかったことか、いったんは決着を見たものを再度取り上げたことを理由とするのもので、これが正当な理由にはあたらないことは明らかである。

3  原告はまた平成四年八月二一日に原告の業務にかかる帳簿書類の提示が完了したとも主張するが、先に述べたとおり、この事実を認めるに足りる証拠はない。

なお、原告は、帳簿書類の提示とその調査の完了とは別個の問題であるとし、原告が平成元年分から平成三年分までの業務にかかる帳簿書類の提示を行ったから、所得税法一五〇条一項一号に定める「備付け等」が行われていたと主張する。

しかし、先にも説示したとおり、所得税法一五〇条一項一号に定める要件(「備付け等が・・・行われていないこと」)は、その要件の存否を認識・確認できる状態にないことを含むというべきであり、「備付け等」が短期間にすぎ税務署長がその内容等の認識・確認をするのに通常必要と見られる期間に及ばなかった場合には、やはり「備付け等」がなかったことに帰着するものといわざるをえない。本件においては、すでに述べたとおり、原告は平成四年八月二一日におおむね平成元年分から平成三年分までの業務にかかる帳簿書類の提示を行ったものの、その後は再三にわたって求められた提示を拒絶し続けたのであるから、帳簿書類の「備付け等」がなかったと認められる。

原告は、平成四年八月二一日に湯原から解明を求められた四つの事項について平成五年二月三日に片岡らに対し説明を試みたことがあったが、片岡らにおいてはこれを聴取する態勢になかったことは先に認定したとおりであり、この点を含め、右の認定判断を左右するに足りる証拠はない。

4  以上のとおり、平成元年分から平成三年分に至るまでの原告の業務にかかる帳簿書類は、所得税法一五〇条一項一号所定の「第一四三条に規定する業務に係る帳簿書類の備付け、記録又は保存が第一四八条第一項に規定する大蔵省令で定めるところに従って行われていない。」ものに該当するから、原告の居住地の所轄税務署長である被告は、平成元年にさかのぼって原告に対する同法一四三条の承認を取り消すことができるというべきであるから、本件青色申告承認取消処分はその余の判断をするまでもなく適法である。

四  本件更正処分の適否

1  平成元年分から平成三年分の事業所得金額の推計の必要性・合理性

以上の認定事実並びに弁論の全趣旨によれば、被告の抗弁等4(一)の経過により、被告において推計課税をせざるを得ない必要があったことが認められ、証拠(乙10、11、18)並びに弁論の全趣旨によれば、大阪国税局長は平成八年三月一八日付で被告に対し通達を発し、「平成元年分、平成二年分及び平成三年分において次の各条件に該当するすべての者について『同業者調査表』を作成すること」を指示したこと、すなわち(1)青色申告書により所得税の確定申告書を提出していること、(2)大工工事業(型枠大工工事業を除く。)を営む者であること、(3)材料仕入があること、(4)上記(2)以外の業種目を兼業していないこと、(5)事業所が自署(被告)管内にあること、(6)年間を通じて事業を継続して営んでいること、(7)売上金額が一七〇〇万円以上、八七〇〇万円未満であること、(8)事業専従者が女性一名であること、(9)作成対象年分の所得税について不服申立又は訴訟が係属していないことである、そこで、被告は平成元年分から平成三年分において通達の抽出条件に該当する四名の者を抽出し、、その四名の者の平均所得率を別紙6のとおり算出したことが認められ、この認定に反する証拠はない。

右の認定事実によれば、被告の抗弁等4(二)(2)のとおりであって、被告が別紙6の「同業者の算出所得率」を用いて原告の前記各年度分の事業所得金額を推計したことには合理性があるというべきである。

2  平成元年分から平成三年分の事業所得の金額

(一)  証拠(乙5の1から3)によれば、平成元年分から平成三年分における原告の谷村建設工業に対する各売上金額は別紙5「事業所得の売上金額明細表」の番号<1>欄のとおり、証拠(乙6の1から3)によれば、同期間における原告のインテリア白川に対する各売上金額は同番号<2>欄のとおり、証拠(乙7の1、2)によれば、同期間における原告の株式会社中徳木材に対する各売上金額は同番号<3>欄のとおり、証拠(乙8)によれば、同期間における原告のダイカズ研設株式会社に対する売上金額は同番号<4>欄のとおり、証拠(乙9の1、2、)によれば、同期間における原告のオクズミに対する売上金額は同番号<5>欄のとおり、証拠(乙9の1、2)並びに弁論の全趣旨によれば、同期間における原告のその余の取引先に対する各売上金額は同番号<6>欄のとおりであることが認められ、この認定に反する証拠はない。

したがって、原告の売上金額は、別紙4「総所得金額の計算」の「<1>売上金額」欄のとおり、平成元年分が三五七四万二八二八円、平成二年分が三六五九万七一六六円、平成三年分が四三一六万七一八八円と算定することができる。

(二)  そこで、別紙4「総所得金額の計算」の「<1>売上金額」欄の原告の各売上金額に別紙6の「同業者の算出所得率」の各所得率を乗ずると、平成元年分から平成三年分の算出所得金額は別紙4「総所得金額の計算」の「<3>算出所得金額」欄のとおりとなることは計数上明らかである。

そして、弁論の全趣旨によれば、原告の平成元年分の特別経費の金額が三五万五八五三円(事業用車両の除却損)であること、平成元年分から平成三年分における事業専従者控除額がいずれも八〇万円であることが認められるから、原告の平成元年分から平成三年分の事業所得の金額は別紙4「総所得金額の計算」の「<6>事業所得の金額」欄のとおりと算出される。

3  平成元年分から平成三年分の不動産所得の金額

証拠(甲9の8から25、乙12の1から3、乙13、15)並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、少なくとも平成元年一月から平成三年三月までの間京都府城陽市観音堂巽畑七一番地の土地のおおむね三分の一及び同地上の建物を谷村建設工業(谷村明彦)に賃貸し、平成元年分から平成三年分として別紙4「総所得金額の計算」の「<7>収入金額」欄のとおり賃料を得たこと、その間必要経費として土地に対する固定資産税の三分の一相当額を経費として負担し、その金額が同「<8>必要経費」欄のとおりであることがそれぞれ認められるから、同期間における原告の不動産所得の金額は同「<9>不動産所得の金額」欄のとおりであるというべきである。

4  平成元年分から平成三年分の総合短期譲渡所得金額

証拠(乙14)並びに弁論の全趣旨によれば、原告は平成元年六月に事業用車両を譲渡し、一三〇万円の収入を得たこと、昭和六三年三月当時の同車両の簿価が三五万四三六八円であって、これから譲渡時までの減価償却分の一九万九三三二円を控除した一五万五〇三六円が車両取得金額であること、その譲渡費用が三〇〇円であることが認められる。そうすると、車両の収入金額から取得金額である一五万五〇三六円、譲渡費用の三〇〇円のほか、特別控除額(所得税法三三条三項、四項)の五〇万円を控除した残額は六四万四六六四円と算出され、これが別紙4「総所得金額の計算」の「<10>総合短期譲渡所得の金額」欄である。

5  平成元年分から平成三年分の総所得金額

以上のとおり、原告の平成元年分から平成三年分の総所得金額は別紙4「総所得金額の計算」の「<11>総所得金額」欄のとおりであり、その範囲内の金額を原告の当該年度の総所得金額と認定して納税額等を決定した本件更正処分(ただし、右三年分のみ)が適法であることは明らかである。

6  平成四年分及び平成五年分の総所得金額

弁論の全趣旨によれば、被告の抗弁等4(七)(1)、(2)の各事実が認められるから、被告が平成四年分の原告の事業所得の金額を別紙1「課税の経緯」の同年分<1>欄のとおりとして平成五年六月一〇日に更正処分を行い、同様に平成五年分の原告の所得金額を同別紙の同年分<1>欄のとおりとして平成六年七月七日に更正処分を行ったことはもとより適法である。

五  本件賦課決定の適法性

以上の本件更正処分の内容等を前提にした本件賦課決定は、国税通則法六五条四項の規定等にかんがみても、法令に反するなどの瑕疵がなく適法というべきである。

六  結論

以上の次第で、本件青色申告承認取消処分、本件更正処分及び本件賦課決定の違法を前提とする原告の本件各請求はすべて理由がないから失当として棄却することとする。

(口頭弁論終結日 平成一〇年三月一八日)

(裁判長裁判官 大出晃之 裁判官磯貝祐一、裁判官吉岡茂之は填補のため署名押印できない。裁判長裁判官 大出晃之)

別紙1 課税の経緯

<省略>

別紙2

<省略>

別紙3

<省略>

別紙4 総所得金額の計算

<省略>

別紙5 事業所得の売上金額明細表

<省略>

別紙6 同業者の算出所得率

<省略>

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